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江の川の氾濫を振り返って② 平成30年西日本豪雨~その1

あの忘れられない西日本豪雨からもうじき1年。47年水害の後、もうこんな大洪水は100年に一度起こるかどうかと言われていたのですが、、、、、7月5日から降り続く広島県での異常な雨の影響で、川本町ではさほど強い雨は降っていないのに、江の川の水位はどんどん上がっていったのです。あまり思い出したくないのですが、私が体験した恐怖の夜の様子をつづってみました。

2018年7月 川本町広報の表紙より

あわや!川本町水没の悪夢再び

我が家は、江の川沿いから祖式川の河口に少し入った位置にあります。サイレンが鳴り響きます。氾濫警戒水位の8.6メートルはあっという間に超え、6日の夜10時には10メートルに。町内の各地区に次々と「避難勧告」「避難指示」が出され、防災無線からは、浜原ダム放流の水量、水位の上昇が刻々と流されていました。もしかすると、堤防が決壊して大変なことになるのではないか?緊張で身体がこわばりました。自宅で一人、不安でとてもとても長い夜になりました。

 

祈りながら避難準備を

広島、岡山の被害が甚大で、島根の様子がTVからはなかなか伝わりません。そこでスマホで江の川や、道路のライブカメラを確認。すると、もの凄い勢いで濁流が押し寄せてきているのが写り、水位も急上昇しているのが数字で示されていました。しばらく見ていると、カメラ画面が真っ暗になりました。水に浸かったの?弓市へ通じる県道が、隣の地区との境付近で冠水、孤立した状態になりました。益々不安になりました。いつでも避難できるように用意をしたものの、道が水没すれば、あとは裏山へ逃げるしかありません。深夜1時、2時、、、まだ水位は上昇しています。もう心臓バクバク、生きた心地がしません。神様、仏様に「どうか水位を下げてください、これ以上被害が拡がりませんように!」と手を合わせるしかありませんでした。

一夜明けて「どこからこんなに水が~?」

7日午前3時に14メートルを超えた時には、「あぁ、47年水害を超えた!」と愕然となりました。逃げる時は、隣のおばさんをロープで引っ張ろうか?犬はどうしよう?長靴で滑らないかな?懐中電灯をヘルメットに着けたほうがいいかな?あれこれ思い悩んでいるうちに朝方、4時ごろから引き始めたのです。ホッとしたと同時に睡魔が、、、、1時間ばかり寝入っていましたが、明るくなった5時過ぎに、外の様子を見てびっくりです。家の前は湖になっています。47年水害でみたあの恐ろしいほど広くなって荒れ狂う江川を目の前に足がすくみました。

(松原橋から木路原、美郷町方面をのぞむ)

ところで、 なぜ早く避難所へ行かなかったの?と思われるかもしれませんが、私たちの住んでいる地区は、47年水害後の宅防事業で約8M嵩上げとなっており、ギリギリ浸水はないだろうとの判断だったのでしょう。洪水警報は出ていましたが、避難に関しては何も発令されていませんでした。しかし実際、恐怖を感じた10名の皆さんは近くの集会所に自主避難されました。この災害がきっかけで、避難情報の伝え方が変わったと、今年の防災避難訓練時に説明がありました。6月末現在、まだ梅雨入りしていない中国地方、、、豪雨が心配ですが、今できる準備をそれぞれにしておきたいと強く思いました。

集落が消えていく・・・

あと70センチで弓市地区の堤防が決壊していただろうと聞いた時には、本当に危機一髪だったのだなぁと、ゾッとしました。川本町では、初の「避難指示」が出されたのですが、早めの助け合いながらの避難で人命に被害がなかったのは、不幸中の幸いでした。ただ水防対策の遅れていた因原、谷、尾原地区などは報道されているように、集落が消えていく大惨事となりました。424人が避難され、約60世帯が全壊、半壊など大きな被害に遭われました。あらためてお見舞い申し上げます。早く元の生活に戻られますように、、、。

水が引いた後はやはり「水不足」でした。次回はその時の様子と災害ボランティアに参加して感じたことなど書いてみようと思います。

 

ライター BAKU

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