神奈川県横浜市から島根県の川本町へ移住してみた
カテゴリー: 暮らし
こんにちは。
私は2021年の2月末に神奈川県横浜市から島根県邑智郡川本町へ家族4人で移住しました。
私も旦那も元々島根県出身ですが、お互い地元が川本町ではありません。なので、UターンではなくJターンのような形でやってきました。
都会の住み方に違和感
私は結婚してから9年間横浜に住んでいました。
近くには大きなスーパーがいくつもあり、
電車もバスもたくさん通っていて生活するのに何も不自由はありませんでした。
ただ人もいっぱいで、お店に行けば大体並ぶ、
渋滞も満員電車も毎日当たり前のようにありました。
家もギュウギュウに並び、隣近所での物音などでトラブルもよく聞きました。
そんな場所でなんとなく暮らしていました。
家をそろそろ考えていたとき、ふと「この場所で何十年も暮らすのか~」と思い、なんだかしっくりこないな、、と。
そのことを旦那に話すと、旦那も同じ気持ちだったらしく、
「だったらお互いの故郷に帰ろっか」
と、大分ふんわりした感じで移住する方向に向かっていきました。
まずは職探し
“田舎に移住”といえば、なんだか響きは素敵ですが(そう思うのは私だけかな?笑)
どこに行こうがお金がないと暮らしていけない。
移住の仕方はいろいろあると思いますが、我が家はなんせお金がなかったので、まず住む所より職探しが優先、旦那に頑張ってもらいました。
(私は横でステキ田舎ライフの妄想をひたすらしてました。笑)
そして、旦那の職歴が活かせる仕事が川本町にあったので、移住を決意しました。
コロナで生活が一変
そんな感じでこそこそ準備をしだしているときにコロナがやってきました。
長男が横浜の小学校へ入学してすぐ緊急事態宣言。
なかなか川本町へ就職活動や家探しにも行けずじまいでした。
でもコロナになって良かったこともあります。
それは、オンライン活用の普及。
移住先に行けなくても定住財団の方達とオンラインやメールのやり取りで、
コストもかからず、わりとスムーズに移住準備ができました。
お金のない我が家にはとても助かりました。(何回お金ないっていうのか。笑)
そして引越し
我が家は何かと引きが良く(色んな意味で)引越しの当日、日本列島に大寒波が到来。
川本町になんとか辿り着いたときは一面真っ白で、川本町ってこんなに雪深いとこなんだ、と思いました。
あとで川本の人に聞いたら、こんなに積もったのは最近では珍しいといわれました。
やはり我が家は持ってるなと。笑
引越しのトラックも家に着く途中、雪で坂を登れず、それでもなんとか頑張って荷物を運んでもらいました。
そして一段落して電気の確認をしていたところ、
「あれれ?」
電気は付くけどお湯が出ない!
我が家は電気でお湯を沸かすタイプの住宅で、その電源が入らなくなっていました。
横浜で入っていた電力会社でそのまま手続きをしていたら、手続きミスでそうなっていたらしいです。
結局その日1日お湯が使えず、ガスコンロもまだ届いていなかったので、数日家にいながらキャンプ気分を味わっていました。
移住先でのライフラインは住む場所によって様々なので、しっかり確認をしておいた方が良いなとつくづく思いました。
子供達は初めての大雪に大興奮
なにはともあれ田舎暮らし最高
初めはコロナのこともあり、関東から引越してきた私達の事を地元の人達はどう思っているんだろう。
嫌がられてないかな?
子供は学校で嫌な思いはしないだろうか。と、いろいろ考えました。
でも実際川本町で暮らし始めると、川本で出会った人達はみんな優しくて、向こうから挨拶もしてくれます。
関東では知らない人に挨拶することがなかったので、最初は少し驚きましたが
学校でも子供達が手厚く(なかば強引に。笑)歓迎してくれてとても安心しました。
しっかり揉まれて立派な川本っ子に育っていってほしいです。
そして移住するにあたり、ふるさと島根定住財団の方や、かわもと暮らし情報センターの方などが協力的に対応してもらえたこともとても助かりました。
これからは都会では味わえない時間を満喫していこうと思います。
天気のいい日に庭で読書。よく見ると漫画でした。。。
ライター yukiyo
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