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Tele-log かわもと

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江の川と川本~なぜ「弓市」って呼ぶの?

 

川とは切っても切れない縁

町外の方はあまり見かけることはないかもしれませんが、これは、川本町の町章(役場HPより)です。江の川をかたどった「川」「水」が中心にあり、周囲は、「円満」「団結」「平和」を意味しているのだそうです。そう、「江の川」抜きには語れないのが川本町!!ということで、江の川(別名:中国太郎)にまつわる話を私の体験も交えながら、つれづれなるままにシリーズで紹介していきたいと思います。

 

弓の形になって山々を縫うように流れる江の川

川本の街中を「弓の形」となって悠々と流れる江の川です。川本の町並みを見渡せる臨流山・仙岩寺(本尊:薬師如来 1576年開創)からの眺めは最高で、つい「ヤッホー!」と叫びたくなります。ホッとさせられる私の癒し(癒され?)スポットです。耳を澄ますと鳥のさえずりも聴こえます。今年の3月末に廃線となった三江線の車両がゆっくり走る姿を上から眺めることは、もうできなくなりましたが、ジオラマのように車の往来や町の様子を楽しむことができます。

弓市の由来を求めて

「弓の形」をなして流れる江の川に広がる町並みを、「弓市」と呼んでいます。

かつては、天領、宿場町、船運の交通の要として栄えていました。郡の中心として、賑やかであった「弓市」。その命名は、やはり川の形状が由来なのでしょうか?また、いつ頃からそう呼ばれるようになったのでしょうか?調べてみたくなり、さっそく町役場の向かいにある弓ケ峯八幡宮を尋ねてみました。

36年前にここで結婚式を挙げました(余談~笑)

洪水と弓矢

お宮の階段下の緑の石碑(写真右側)に書かれていた一部を紹介します。

「~御傳記~時の領主小笠原長親公の時 天福元年(1233)に宇佐八幡宮を御勧請せられ、宮地に心を配り凝らしめ給うに、折から洪水でに神矢一張流れ来りて当地に漂着し、峯の松の木に掛かりたるに依り感浅からず、弓矢八幡の名の如く神明この地を知らしめ給ふとて弓ヶ峯と号し、里を弓市と名づけ給い社を建立せられしものなり  引用:弓ケ峯八幡三社大神宮縁起之巻」

洪水で神矢が流れ着いてきた場所が、この地の峯の松の木であったこと、約800年前に小笠原氏が「弓市」と名付けたとのことです。歴史ある「弓市」に感動です。

「弓市」の命名に洪水が関わっているということで、次回は、江の川の氾濫の歴史を経験から振り返ってみたいと思います。

ライター BAKU

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